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「ダンディーな先生」橋本堅太郎さんと「テーラー中山」会長、中山勇

 背広を始めてきたのは、昭和28年に東京芸術大学を卒業し、恩師のすすめで都立北高校の美術講師をやることになったときです。急に決まった話だったので、あつらえる間もなく、いわゆるぶら下がりの紺の背広を買い求めました。その後は、母親のすすめで、家に出入りのテーラーでスーツを仕立てましたが。

 それまでは学生服で暮らしていましたし、普段アトリエにいるときは、ゆったりとした恰好で作品を制作していますから、スーツやジャケット、ましてお洒落するといったこととは縁が薄かったのですね。

 しかし、結婚して状況が一変しました。何しろ、朝起きるとスーツにネクタイ、ワイシャツ、ハンカチ、靴下などがピシーッと揃っているのです。私はそれを着ていくだけ。音楽の世界にいた妻の芳子が、私の着ていくものをすべてコーディネートしてくれたのです。

 女子美術短大講師、宝仙短大生活芸術科助教授、四十八年から東京学芸大学助教授(五七年教授、平成六年から名誉教授)を歴任しましたが、その間、女子学生やモデルさんたちから、「ダンディーな先生」「橋本先生は、同じ組み合わせのものは二度と着てこない」と騒がれたのも、これすべて優秀な専属スタイリストのおかげです。


日本芸術院会員(彫刻家)
東京学芸大学名誉教授
橋本堅太郎さん


高松宮技術奨励賜杯・内閣総理大臣賞受賞の「テーラー中山」会長中山勇による仮縫い。

 二九年に日展に初入選し(三一年より連続入選)、四一年に日展特選を受賞します。日展特選は三七歳の時でしたが、このころからあまりラフな恰好が出来なくなりました。

 四九年に日展審査員(以降合計五回)、五十年日展会員(現在、日展常務理事)になりましたが、日展の先生方、それも日本画や木彫の世界の方はスーツをピシーッと着こなしていらっしゃる。いわゆる芸術家という言葉からイメージする自由でラフな恰好というのとはちょっと違うところがあります。

 上下関係に厳しい一種の徒弟関係ですから、師匠がスーツを着ていれば弟子もスーツを着る。師匠より出すぎたことはしない。師匠よりハデなことは慎むという世界ですね。

 ところで、「テーラー中山」の中山勇さんとの出会いも、妻の縁です。妻は東京・杉並のコーラスグループに属していて、その仲間に中山さんの奥さんがいた。それで紹介されたのですが、中山さんはテーラー業界の最高峰である高松宮技術奨励賜杯・内閣総理大臣賞を受賞されている方。じつにいい仕立てをしてくださる。着ていて本当に気持ちがいい。

 昨年、中山さんにモーニングを仕立てていただきました。日本芸術院賞受賞、そして日本芸術院会員就任と続いたため、授賞式や歌会始など宮中に招待されることが増えたためです。

 学生服を脱いで四十数年、男のダンディズムなどとはおよそ程遠い私でしたが、コーディネーターにいわれるまま着るものもずいぶん変わり、他人の着ているものがなぜか気になり始めたこのごろです。

プレジデント誌より